ALMOST DOWN (2012)
ビデオ(HDVから16mmフィルム変換、カラー、サイレント)
2分36秒(ループ)

この一年間よく思い浮かべていたのが、世の中の全てがギリギリのバランスで、かろうじて成り立っているというイメージであった。この緊張と儚さの間のような感覚は、作ることと壊すことが図らずも隣り合わせである関係とどこか似ている気がする。(…)芸術の使命が既にそこに在る「何か」を発見することだとしたら、 “日本の今”を撮るには、いっそ地球上からではなく、宇宙望遠鏡のような離れた視点も必要だと思う。(2012年3月、制作ノートより)


かつて津波がどこまで来たかを示す水位を記した石碑の上に建造物を立ててしまったがために、ある村はそのことを集団的に忘れてしまったという話しを聞いた。物理的な理由をきっかけに人々の記憶が刻まれた過去が上書きされてしまったのだ。それと平行して、震災後、友人のある写真家は、津波によって流された写真を一枚一枚洗浄して持ち主に返す、という活動を継続してしている。いわば過去が焼き付いた物質を再生させることで、忘却に抵抗していると言っても良い。災害が齎したこの二つの物質を巡る話しが、映像という媒体を扱う私にとって妙に気になった。2011年12月、あるアーティストのリサーチに付き添って陸前高田を訪れた。そのとき、胡桃を割ろうとしているカラスが私のすぐ近くでその行為を延々と繰り返していたので、その様子を持っていたビデオカメラで収めた。いつまで経っても割れない胡桃。最終的に烏は諦め、どこかへ飛んで行ってしまった。後からふと思ったのは、もしかしたらこのカラスは震災以前は胡桃を車に轢かせて食べていたのではないだろうか。ただ、もう車の数は圧倒的に減ってしまっていた。


空を舞うカラスの円運動と映写機の連続ループ、そして繰り返される震災を歴史的サイクルを示唆する。本作では、デジタルで撮られた映像素材を、胡桃が必ず画面中央に来るようにパソコンで1フレームずつ編集し、それを更に16mmフィルムカメラで再撮影し、フィルムに複写している。アナログからデジタル変換するのではなく、デジタルからアナログへ変換する、キネコと呼ばれる技術を模している。時代に逆行した技術に近い手法が取られているが、アーカイブの面からいうとデジタルのデータよりもフィルムの方がまだ「残る」可能性が高いのだ。フィルム再生には、国産のELMO社製のフィルム映写機を使用。しかし、遂にELMO社も2012年秋には映写機のメンテナンスを中止が発表された。


【制作年表記について】撮影された2011年以降、初めて発表されたのが2012年の3月であるが、毎回展示される度に制作年が付け足されることになっている(例:2012年、2022年、2032年)。これは、社会がデジタル化に移行しつつある世の中で、最後の映写機、或いはランプが無くなるまで映写し続けることで、その時の社会とメディアを取りめく環境を確認することを意図している。