Osamu Matsuda

Cry-Wolf Video

2009 8.20 - 2009 9.19

[Japanese version only]

松田はこれまで絵画やゲームのコントローラーで構成したインスタレーションや映像など、多様な表現方法を用いながら、ゲームや自慰行為など自分にとって身近なもの、を表現してきました。
初個展である「オオカミ少年ビデオ」は、卒業後に制作した映像作品を中心に会場を構成します。

映像や写真はどれも、現実世界を撮影者の主観できりとったものですが、松田は本展のタイトルにもある「オオカミ少年」のように、「いかにして面白い嘘をつき、その嘘を面白がってもらえるか」ということを常に念頭におき、映像を制作しています。
そしてその映像作品はどれも、ビデオで撮影したものではなく、全て小枚数の写真をつなぎあわせ、組み合わせをかえたり、何回も使い回したり、撮影位置を少しずつかえたものをつぎたしたりして制作されています。
また、彼の映像作品の音は全て映像とは別に録音されています。撮影時の臨場感あふれるドキュメント性の高い音ではなく、自分の声を多重録音し写真を組み替えた映像に別録りの音をあわせることで、さらに現実をねじまげます。1分未満の長さに編集された映像を延々とループで見つづけるうちに、観客は松田の妄想世界へまんまと誘いこまれることになるでしょう。
松田が映像やドローイングの題材にするのは、社会において人が隠したいものや隠そうとされているものたちです(といっても犯罪などダークなものではなく、汚物や排泄物、エログロなどで、さらにいえば、他人へ抱く愛やエロ、というよりはひたすら自分から排泄されるものたちを愛でる、といった類のものですが…)。
松田のひねくれ気質ややさぐれ感情も手伝ってなのか、彼はこのオゲレツで下品と思われているものたちに深い愛情をもっています。

しかし現代において、この嫌われものに対する線引きや締めつけは、松田の思いとは裏腹に、年々厳しくなっているようです。
汚いものやひどいものをあまり見たことがない/見たくない人でも、だれだって自分の排泄物を見たことがない人はいないでしょう。
そう考えると、どこまでが下品なのかという線引き自体が曖昧で難しいはずのものが、社会によって一緒くたにされどんどん目に触れないようにされていっている。そんな、この世の中でどんどん肩身がせまくなっていきそうなオゲレツたちの個性を、肯定せずとも笑いとばしてほしい。その思いをユーモア成分とさわやか成分でくるんだ表現でお披露目いたします。(ただ、そういった存在への規制がきびしくり、表舞台から隠されようとすればするほど、そういう意味で松田の表現のネタは今後も切れることはなくなるでしょうが)。

今回の展示作品は「下品ぎりぎり」もしくは「ずばり下品」といった印象を与えるかもしれません。ただ、子どもから大人に成長する過程で意識的にも無意識的にもついた「世の中の常識」や先入観、固定観念といったものを一度考えるきっかけになればと思っています。
このさきどんなに人間の身体に進化や退化があったとしても、排泄行為がなくなることはないでしょう。
他人に見られたくないあんな行為やこんな姿態も同じように、人類が地球上にあるかぎり、それらはどんなに世間の目から隠されても存在し続けるでしょう。
隠されているけれど大事だったり、卑下されたり、羞恥心の中でしか扱えなかったものの存在を、松田の表現をとおしてみてください。もしかしたらどんな些細なことでもなにか発見できる可能性があるかもしれません。