コンセプト
1. Art is in the pARTy
パーティーこそは歌舞伎町界隈の真髄である。
刹那的・祝祭的な一晩をサービスするために、この街は宴文化に注力してきた。
美術的側面からもそれは言える。戦後の新宿は、「ゼロ次元」「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」や「新宿少年アート」、「状況劇場」など、ハプニングが公共圏や雑居ビルで勃発するステージだった。それらは展示というよりも、儀式や祭り、演劇といった一過性的・パフォーマティブなイベントだった。歌舞伎町がモノを売ってきた街ではなく、コトを、サービスを、身体を売ってきた街であること……新宿の表現の文脈は街の無形の性質と見事に重なっている。
アートの現状でも協働性や体験性が重視されるようになった。
ドクメンタ15において芸術監督のルアンルパが打ち出したテーマは「Make Friends, Not Art」だったが、それは作品・作家至上主義から人間関係にアートをシフトさせるメッセージでもあった。考えてみれば、「パーティー」とは宴のことだけではなく、結社や会、社交、政党、野外活動のグループなどにも意味が広がる言葉である。Chim↑Pom from Smappa!Group が展開してきた「Art is in the pARTy」は美術の普遍性へのカウンターであり、現在のコレクティビズムを表したテーゼとも言える。ただしそれは、「Make Friends, Not Art」とは異なり、「アートはパーティー(人間関係≒「make friend」)の中にある」と、芸術にこそ人間関係の可能性をみるステイトメントである。
2. Peace
パーティーは、しかしその快楽性から社会問題の温床ともなる。売上至上主義と結びつくと尚更である。歓楽街は幾度もその批判を浴びてきたが、先述した祭りの文化はむしろ資本主義や権威主義と袂をわけたアナーキーなものばかりだった。とくに60年代の「新宿フォークゲリラ」は、権力と対峙し反戦を叫んだ伝説的なパーティーとして伝えられている。
それら政治的・ラディカルな文化が受け入れられてきた背景には、歓楽街特有のキャパシティがある。もとより原点は1920年代の新宿が著名なアナーキスト・コミュニストが住むエリアであったことや、戦後日本初の闇市が立ち上がった土地であったこと。新宿二丁目という日本最大のLGBTQ+タウンが性の多様性を培ってきたことなどが文脈として支えている。危険な側面を抱えつつも、歌舞伎町の営みは自由を謳歌するよう発展し、マイノリティ・他者と生きる「共生」の体現とも言えるだろう。
「歌舞伎町から平和を——」。それは、自由を消費することで戦後民主主義に呼応してきた「夜の街」が、一歩踏み込み既存の平和のイメージを刷新する当事者となることを意味する。ともすればダークな印象の歓楽街から発せられるメッセージは、その意外性こそがフックとなって悲惨な時代への一つの提案となるだろう。
3. 芸術/芸能
歌舞伎町の名前の由来は、戦後焼け野原だった街の復興計画として、地元住民たちが歌舞伎座を誘致しようとしたことに因んでいる。結果、歌舞伎座は来ず名前だけが残ったが、歌舞伎や能をはじめ日本の伝統芸能がそもそも河原乞食的に聖と俗の一体化から生まれ、吉原など繁華街から育った経緯を考えると、現在の保守化した芸能とそのルーツのギャップがこの一件には強く現れている。
日本における芸能のはじまりは、古事記と日本書紀における芸能を司る神・アメノウズメによるストリップだと言われている。 太陽神・天照大神が岩戸に隠れ、世界から光が失われたときに、岩戸の前で神々が宴を繰り広げ、アメノウズメが上半身を裸で踊り、八百万の神々を沸かせたことに因む。その賑やかな外が気になり岩戸の扉を天照が開けたことで、世界に光は回復した、と記述されている。
歌舞伎町の芸術を考えるにあたって、それはハイアートだけでは成立しない。ポールダンス、ドラァグ・クィーン、ストリップなど歓楽街的な文化に加え、まさに芸能を祀る花園神社を舞台にし た状況劇場のアングラ演劇や見せ物小屋など、過激な身体表現としての芸能が芸術に影響を与え続けてきたからだ。
芸術と芸能の再定義は、西洋的な文脈では解釈しきれない、日本独自の問題(信仰・エコロジー・社会的階級など)としてずっと日本のアートを揺さぶり続けてきた。今回を機に、今後歌舞伎町でのアートが世界に発信し続けることになるその問題意識は、西洋と東洋をめぐる芸術の価値観の再定義にも繋がるだろう。
4. タイトルの由来
タイトル「BENTEN」は歌舞伎町の聖地として守られてきた歌舞伎町公園/歌舞伎町弁財天に由来する。芸能の神として知られるが、水の神でもあり、日本各地にかつて水辺だった名残を伝える存在として祀られている。建立されている碑文には次のように続く。「歌舞伎町は昔 大村の森と云われ 広大な沼があって 沼の辺りに弁天様が祀られてあった」。1913年に上野寛永寺より本尊を勧請し、池を埋め立てた後もこの地に祀られていたが、大空襲で本堂は焼失。信者の岡安たか子氏が弁天様を背負って避難し、その後、歌舞伎町の開発を最初に行った峯島家に移した。戦後、町会長の鈴木喜兵衛が復興計画を立ち上げ、協力者と共に街の再建を進め、弁財天の敷地は元のまま保存されることが決定した。弁天堂再建奉賛会を結成し、歌舞伎弁天を地域の守護神として永遠に崇めることを誓った。
BENTEN 2024 芸術監督
Chim↑Pom from Smappa!Group
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キュレーター
Chim↑Pom from Smappa!Group、山本裕子、涌井智仁、権祥海、池田佳穂、藪前知子
BENTEN 2024 (2024)